暖房器具を出す目安 こたつ開きについて

立冬を迎えると暦のうえでは冬になり、冬の準備をする方が増えてきます。
昔から日本では、「亥の子の日」に暖房器具を出す「こたつ開き」が行われていました。
今回はそんな「こたつ開き」についてご紹介します。

暖房器具を出す目安
暖房器具を出す目安になると言われているのが「亥(い)の子(こ)の日」です。これは亥の月(旧暦10月・新暦11月)の亥の日のこと。亥の日は12日ごとにやってくるため、一般的には亥の月の最初の亥の日のことを指します。江戸時代には亥の月亥の日を「こたつ開き」と呼んで、暖房器具を出したと言われています。当時は武家が最初の亥の月亥の日に、一般庶民が二番目の亥の月亥の日に「こたつ開き」をしていました。ちなみに、今年は最初の亥の月亥の日が11月4日(水)、二番目の亥の月亥の日が11月16日(月)です。現在では当時と異なり、武家と庶民の区別がないため、どちらで出しても問題はありません。暖房器具を早く出したい方や、出し忘れていた方などは、この2日以外の「亥の日」に出してみてはいかがでしょうか?10月から12月の「亥の日」は、10月11日(日)、10月23日(金)、11月28日(土)、12月10日(木)、12月22日(火)です。ちなみに「亥の子の日」は、亥が重なることから「玄猪(げんちょ)」とも呼ばれています。多産のイノシシにあやかり、亥の子に見立てた「亥の子餅」を食べ、無病息災や子孫繁栄を祈願します。この「亥の子餅」は10月から11月頃に和菓子屋さんで見かけることができます。


こたつの歴史
暖房器具の一つで、最近は使用している人も減ってきているこたつですが、実は室町時代にはすでにあったといわれています。その当時のこたつは、囲炉裏の火力を落として台を置き、着物をかぶせた簡易的なものだったとされています。江戸時代になると囲炉裏の上に櫓を組み、布団をかぶせた「やぐらこたつ」で暖を取るようになりました。明治時代には、囲炉裏を下げ、床と同じ高さに櫓を組んで布団をかけた、掘りごたつが登場してきます。この頃はまだ熱源が、木炭や炭団(たどん)(炭の粉末を団子状にし、乾燥させた燃料)などでしたが、火事や一酸化炭素中毒の危険性もあるなど、問題を抱えていました。大正時代後期には電気ごたつは発売されていましたが、あまり普及しませんでした。ちなみに現在のような置きこたつは戦後に発売されました。好きな場所に置け、足を伸ばすことができたことから、多くの人に普及していきました。また、赤外線の輻射熱を利用することから、点灯と同時に暖かさを感じられることも人気の理由となりました。


こたつ開きの由来
なぜこたつ開きが亥の日なのでしょうか?亥はイノシシのことで、イノシシは摩利支天(まりしてん)(仏教の守護神、炎の神)の神使といわれていたことから、火を免れる(火災が起こらない)と考えられていました。また、陰陽五行節では、亥は「水性の陰」に当てはまることから、火を制御するとも考えられていました。
今でも茶道の世界では、この「亥の子の日」に「炉開き」を行なうところが多くあります。新茶を初めて使う「口切り」をし、「亥の子餅」をいただきます。


実際に暖房器具を使用するのは気温によりますが、今年は古来の風習にならって亥の子の日に暖房器具を出してみてはいかがでしょうか。