厄を追い払う 節分ってどんな日?

2月3日は節分です。節分には豆まきをし、恵方巻きを食べることがかなり定着していますが、そもそも節分とはどういった行事なのでしょうか?
今回は節分についてご紹介します。

節分とは
本来、節分とは季節の変わり目の「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のことを指し、1年に4回あります。旧暦では立春が元日であったため、春の節分は大晦日にあたります。この日に1年の厄を払って、新しい1年を迎えるということで、「節分」は立春の前日のことを指すようになりました。また、立春の前日は大寒の最後の日にあたるため寒い日が多く、病気にかかりやすい季節でもあり、厄除けの儀式が重要視された一面もあります。

節分といえば「豆を撒いて鬼を追い払う日」という印象がありますが、鬼を追い払う行事としての節分の歴史は古く、平安時代の宮中行事である「追儺(鬼やらい)」が起源とされています。

追儺は平安時代、大晦日に開催されていたもので、鬼役が手下の役人を引き連れて宮中をまわり、厄を払うものでした。当初は悪鬼を祓う善神と見なされていましたが、9世紀ごろ謎の疫病が流行するようになると、追儺の鬼役は悪鬼と見なされるようになり、追われるようになってしまいました。鬼は疫病の象徴であったため、鬼の姿をした疫病を追い払うことで、病気の流行を封じ込めようとしたとされています。


豆まき・恵方巻き
今では当たり前に行なっている「豆まき」は、「追儺」の「豆打ち」という行事が起源となっています。この「豆まき」には「邪気を追い払う」という意味があります。豆をまく理由として3つの説があげられています。
●昔、穀物には「魔除けの呪力」があると考えられていたため
●鞍馬山の鬼が都を荒らしたとき、炒り豆で鬼の目をつぶしたという故事伝説があったため
●「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」という語呂合わせ

最近は「恵方巻き」を食べることも広まってきました。この恵方巻きは、江戸時代から明治時代にかけて大阪の花街で節分をお祝いしたり、商売繁盛を祝ったりしたことに由来しています。花街で商人や芸子たちが節分に芸遊びをしながら商売繁盛を祈り、食べていたようです。ちなみに具が7種類なのは、七福神にちなんでいるからです。また、恵方巻きは一本丸かじりで食べることで知られています。それは包丁で切らない=縁を切らないという意味が込められているからです。

今年も豆を撒いて邪気を追い払い、今年の恵方「北北西」を向いて恵方巻きを食べ、よい1年を過ごしたいですね。