11月の国民の祝日 「文化の日」と「勤労感謝の日」

11月には2つの国民の祝日があります。
「文化の日」と「勤労感謝の日」、それぞれどんな意味や由来があるかご存知ですか?
今回は「文化の日」と「勤労感謝の日」についてご紹介します。

「国民の祝日に関する法律」では、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日とされています。11月3日は平和と文化を重視した日本国憲法が公布された日です。そのため「文化の日」として国民の祝日に制定されました。ちなみに日本国憲法が施行された5月3日は「憲法記念日」として祝日となっています。しかしこの「文化の日」の名称も趣旨も本来の意味とは全く関係のないものでした。

実はこの日は明治天皇のお誕生日であった「明治節」と呼ばれる祝日でした。明治天皇が崩御された後、この日を祝日にしたいという国民の声が非常に多かったために祝日になりました。しかし、終戦後、GHQは天皇や神道に関わるものを排除しようとし、「明治節」も廃止されてしまいます。ですが、この日はどうしても残しておきたいという意図が日本政府にはあったため、日本国憲法の公布を意図的に11月3日にし、それを祝日としました。つまり形式上は日本国憲法の公布日を祝ったものですが、明治節の趣旨こそが「文化の日」の本来の意味だったのです。

「働いている人に感謝する日」と解釈されている方も多いですが、「国民の祝日に関する法律」では「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日とされています。つまり「働くことを大事にし、作ったものをみんなで感謝して喜び合う日」です。この「勤労感謝の日」は戦後に制定された祝日で、元は「新嘗祭(にいなめさい)」という祭日でした。新稲の収穫を祝い、翌年の豊穣を祈願する行事で、皇室にも伝わる非常に重要な神道の儀式の一つです。現在でも神社や地域のお祭りなどで収穫祭は行なわれています。

終戦後に皇室に関わる行事が祝日として残るのをGHQが嫌ったことから、儀式的な部分は取り除かれ、名称も「新嘗祭」から「勤労感謝の日」に変わりました。

近年は祝日を移動させる「ハッピーマンデー制度」が導入されていますが、「文化の日」「勤労感謝の日」どちらにも適用されていません。それはどちらも祭日だったことが関係しています。皇室に関わる儀式や祭典が行なわれる祭日は、その日に儀式を行うことに意味があるため、日にちの移動は行なわれていません。

どちらの祝日も皇室に関わる大切な日。そういった歴史を知るのも大切なことですね。