皆様こんにちは。代表の遠藤です。
日頃は弊社並びに弊社社員をご贔屓に賜り誠にありがとうございます。あらためてお礼申し上げます。
昨年の1月号に続き私が抜け出せない大沼の第2弾をご紹介させて頂きます。
時は1987年、日本中がバブルで浮かれているときに「私をスキーに連れて行って」という映画が大バズりしました。そのような中で大学生だった私は類にもれず軽い気持ちでスキーを始めたものの、それはそれはそこは大沼だったのです。
ゲレンデを見渡すと白いスキーウエアに身を包んだ原田知世さんと三上博史さんばかり。楽しそうに軟派なスキーヤーが溢れている中で黙々と滑っている私たちのグループは一種異様な雰囲気だったと思います。無意味に長くてかたい板と涙が出るほどの冷たくて痛いブーツで延々と滑り続け、リフトが終了しても板を担いで歩いて山を登って更に2~3本滑るといったアホさ加減(汗)。休みの日はほぼ雪山に行き、片道5時間の白馬岳の日帰りスキーは当たり前、てな感じで楽しんでいました。
息子もいい迷惑だったと思います、親父の沼に付き合わされて幼稚園に入る前から雪山に連れていかれスパルタにスキーをさせられたのですから(笑)。おかげで気候温暖な静岡に生まれ育ちながら、小学校入学時には大抵の斜度のバーンは何事もなく滑って降りられる様になっていました。
大きな怪我はあばら骨のひびと膝の前十字靭帯部分断裂くらい。それでも懲りずに38年続けてきましたが最近FAIという要手術の病態が発覚し休憩しています。が、必ず勇気をもって手術を受けてもう一度雪山に復活したいと思います。