約200年ぶり 生前退位について

今月いっぱいで現在の天皇陛下が退位され、5月1日には現在の皇太子様が新天皇として即位されます。
天皇陛下がお気持ちを表明されてから、目にすることが多い「生前退位」とはどんな歴史があるのでしょうか?
今回は生前退位についてご紹介します。

生前退位の歴史
現在の天皇陛下は第125代に数えられますが、奈良時代以降、江戸時代までに約60人の天皇が生前に退位されています。歴史上、初の天皇の生前退位は、645年、乙巳の変(大化の改新)直後に、皇極天皇が孝徳天皇に譲位した時とされています。また、最後に生前退位がなされたのは1817年、仁孝天皇に譲位した光格天皇でした。明治以降は制度的に生前退位が認められなくなりました。

生前退位が行われていた理由として、3つのことが挙げられます。1つ目は、「天皇の死」を避けるためです。「死」はケガレの源と考えられていたため、在位中に亡くなってしまうと、天皇という地位そのものがケガレてしまうとされ、亡くなる前に退位・譲位されていました。2つ目は、権力者からの強制によるものです。天皇は日本の歴史を通じて最高の権威であったことは間違いありませんが、実際の政治権力を握っていた時期はそれほど長くはありませんでした。実際の政治権力を保持していたのでは、天皇以外の者で、自分の意のままに天皇を交代させようとした者もいました。3つ目は、天皇自身の希望によるものです。江戸時代まで生前退位は普通に行われていたため、天皇自身の希望による退位も少なくありませんでした。理由としては、上皇となって院政を敷くため、退位して休養や治療に専念するため、何らかの抗議の意思を示すためなどさまざまです。

明治時代にできた皇室典範によって、生前退位を認めないという規定ができました。生前退位により、天皇家内に「天皇」と「上皇」という二重の権力状態が生まれ、平安時代末期には「保元の乱」などの争いが起きる原因にもなりました。こうした二重権力が生まれることを、当時の政府の中心にいた伊藤博文らが危惧したからだといわれています。

退位した天皇陛下のその後
歴代の天皇は退位後、どのように過ごされていたのでしょうか。退位された天皇は「上皇」と呼ばれます。この「上皇」と聞いて思い浮かぶものといえば、「院政」です。「院政」は、それまでは摂政や関白の地位についた藤原氏がもっていた政治の実権を、天皇家に取り戻したという意味で画期的でした。しかし、前述したとおり、二重権力の状態となり、争いが起きる原因にもなりました。
「院政」を行なった上皇は、江戸時代までに26人だけでした。そのほかの上皇は何をされていたのでしょうか。

●出家して「法皇」になった
上皇が出家すると「法皇」と呼ばれるようになります。出家してからも権力を握り続けた法皇もいれば、寺院に入って修養に励んだ法皇もいました。

●和歌や学問の道を極めた
和歌で才能を発揮した上皇が多く、例えば鎌倉時代初期の「後鳥羽上皇」は「新古今和歌集」の選集にも関与しています。ほかにも多くの上皇や法皇がすぐれた歌集を残しています。